「その1」は仕事面を中心に振り返ったので,「その2」ではプライベート中心にいきたいと思います。

まず,独立することに両親の反対はなかった。

母親いわく,

あんたは言い出したら聞かないから

んむ,さすが母親,よくわかってらっしゃる 😎

仕事場の状況は,自宅兼事務所であり自宅=実家である。
いわゆるSOHO(Small Office Home Office)だ。

ウチでは父親が権力を握っており,昔気質の父親は

夜は寝るものだ

という考えが頭にこびりついており,これが落ちることはまずない。

逆に,おれは10年の一人暮らしという経験で身に付いた

完璧な夜型人間

である。

おれが夜中に仕事をしているのを父親は良く思わない。
自分としては夜中の方が集中力が増す。

「独立に両親の反対はなかった」と書いたが,母親には直接,自分からこれからどうしたいかなどを語ったが,父親には直接伝えておらず,母親から伝わっていた。

そこでお互いの考えなどにすれ違いが生じ,なんとなく気まずい状態になっていた。

自分が勝手に独立したのだから,自ら直接父親に話をするのが筋だというのはわかっていた。
だが,なかなかタイミングがとれないうえに,シラフの父親となかなか顔を合わす機会がなかった。

こういった真面目な話をするときには父親にアルコールを摂ってほしくないので,アルコールの入っていないときを伺っていたらなかなかその機会がなかった。

そのほかに,自分なりに考えをまとめる時間が必要だったということもある。

ウチの両親はパソコンに疎い。
Webデザイナー,プログラマー,SEなどと言っても頭の上に ❓ が目に見えて浮かんでいるような感じだ。
インターネットで何ができるのかもわからない。
それどころか
「そもそもインターネットって何?」という状態だ。

父親に至ってはもしかしたらパソコンを触ったことがないかもしれない。

そんな人間に自分のやっていること,やろうとしていることをどうやったらわかりやすく簡潔に伝えられるか。

そして,4月頃のある日,アルコールを摂る前に父親を呼んで話をした。

父親がおれに聞きたいこと,おれが父親に話したいことをぶちまけ合った結果,わだかまりは解消した。


次に浮上した問題。

自分自身の生活費

多少は派遣時の残りのお金があったが,本当に「多少」なのですぐに底をつく。
実家住まいということで,食事や光熱費はとりあえずは平気だが,家にお金を入れなくてはならない。
独立したばかりで仕事のあてはあっても収入として手元に入ってくるのはしばらく先になる旨を説明し,収入があるまでは目を瞑ってもらえることになった。が,後ろめたさは否めない。

理想はやはり,自宅とは別に事務所を借りることだが,それだと「通勤」という感じがしてサラリーマン時代とあまり変わらない気もする。
そんな資金は当分できそうにないが。


こういう状況になると定期収入のありがたみがわかるな。
仕事が入ってくれば大きいが,ないと本当に文無しになってしまう 🙁

さらに,追い討ちをかけるように(…と言ってはいけないか…)友人の結婚式への招待状が届いた。
交通費だけでもかなりギリギリなのに…

ご祝儀どうしよう(・ω・|l|)

という非常事態に陥った。
まさかご祝儀のお金を借りるわけにはいかない。
そこで,日雇いバイトをやってみた。
日ごろの運動不足がたたってもれなく筋肉痛になった・・・(>ω<。)

事業が軌道に乗るまでは生活費もままならないので,アルバイトを考えた。
その結果,2008年7月から以前からやってみたかった本屋さんでバイトすることになった。

バイト中心にするとなんのために独立したのかわけわからなくなるので,

最高週3日という雇用契約で交渉成立

これで最低でも月7万円は確保できる。
その中から3万は家に入れているので,実質使えるお金は4万。

事業が軌道に乗り始めてきたらもちろんバイトはやめる。

投稿者 Kunikatsu

『プログラマ的Webクリエイター/デザイナー』 1998年-プログラマとして社会人デビュー。 2001年-バンド活動に本腰を入れるためフリーターになる。 その間にWEBに興味を惹かれて独学で学ぶ。 2008年-フリーター生活に終止符。WEBRAINSという個人事業を立ち上げる。 このサイトは個人事業とは別であり,至極プライベートなネタを発信。

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